数年前の私は、いつも「今の自分とは違う誰かになりたい」と思っていました。
変身願望というやつですね。
すごく活躍している同世代の方のブログを読んでは、
「私もこんな風になりたい」
「この人みたいになったら、きっと幸せだろう」
なんて考えて、その人たちの働き方や生き方を真似しようとしていたんです。
でもそんな上部だけの真似なんて、うまくいくわけない。
私は、うまくいってる人たちの真似をして、自分ももっと輝きたい!と浅はかな考えで七転八倒していたわけですが、その結果得た答えは
「私は私にしかなれない。」
ということでした。
変身願望があるときは自分を否定している⁈
「誰かのようになりたい」と感じているときって、今の自分のままではダメだと否定していることになります。
だって今の自分がダメだから、今と違う自分に変わりたいと思ってるわけです。
では、なぜ自分のことをダメだと思うのか。
それは子供の頃に親や周囲の人たちに否定された経験や、自分に厳し過ぎる性格、または世間が良いとする成功・幸せの定義に囚われているのかもしれません。
「自分はダメな人間。だから成功していて輝いて見える、あの人みたいにならなくては。」
こんな風に私もいつからか今の自分ではダメだと思い込み、今の自分以外の誰かに変身したいと考えていたんですね。
自分を否定していると欠乏感がすごい
自分がダメな人間だと思い込んでるときって、ものすごい欠乏感がありました。
仕事はパッとしない、夫婦仲は良くない、いつも何かが足りない感じ…
こんなことを感じながら毎日を過ごすのは、かなり辛いことでした。
それもそのはず、自分のことを常にダメだと否定しながら生きているのだから、辛くて当たり前だし、心が満ち足りることなんてあるわけないんです。
欠乏感を抱いて暮らしていたら、幸せを感じることはできません。
欠乏感があると、心に空いた穴を埋めるために仕事やお金を稼ぐことで穴を埋めようとする方が多い。もし仕事を頑張りすぎかも?と感じた時、頑張りすぎてしまう理由が、自分の欠乏感を満たすためだとしたら…ちょっと要注意かもしれません。
私は私にしかなれない
心を満たすために他人の真似をして、私もキラキラと輝きたい!と考えてたわけですが、そんなのうまくいくわけがなかった。
なぜなら、私は私にしかなれないから。
レモンがどんなにイチゴに憧れても、甘く赤くはならないように、私は私以外の誰かには絶対になれないんです。
私は私にしかなれないんだ!と気がついたとき、私は自分のことを全く知らないことにも気が付きました。
それは、レモンが自分の酸っぱさをようやく知って「じゃあどんな料理に使ったら美味しくなるのかな?」と考えるようなタイミング。
今まで自分を見つめずに、苺の赤さや甘さばかりを追いかけていたから、自分のことを知る機会がなかったんです。
黄色いレモンに赤い絵具を塗ろうとしたり、砂糖をかけまくって甘い果物のフリをしようとしていた感じ。
不自然極まりない行為ですね。
不自然だから、辛かった。レモンのくせに甘いイチゴになるのは無理があるから、毎日苦しくて、いろんなことがうまくいかなかった。
たぶん周囲からも、「この人はレモンなのに、なぜ体を赤く塗ってるのかな?」と思われていたかもしれません。
自分を受け入れると生きるのが楽になる仕組み
「私はレモンなんだ!酸っぱくてイチゴみたいに人気者じゃないけど、この酸味を活かした美味しい料理もあるんだ!」と気がついたとき、私はとーっても心が軽くなりました。
自分の本質を否定しながら生きるとは、川の流れに抗って泳ぐようなものなので、体力もいるし、ストレスもすごいんです。
でも自分の本質を受け入れて生きるのは、川の流れに体を委ねるような生き方。ただ浮かんでいるだけで、水の流れが体を勝手に運んでくれます。
だから自分のことを知って、受け入れると、すごく生きるのが楽になるんです。
自分を知る、とは
自分のことを知るのは、簡単なようで難しいことです。
小さい頃から親の影響を受け、学校で一律の教育をされ、社会に出れば世間の目を感じながら生きている私たちは、自分を見つめ、自分と対話する機会を失いがちです。
本当に大切なのは、他人の言葉とか視線ではなくて、自分が感じることのはず。
でもどうしても私たちは、他人の意見に振り回されてしまいます。
自分がレモンなのかイチゴなのか、はたまたそのほかのフルーツなのか知らないと、自分の活かし方や活かす場もわかりません。
誰かみたいになりたい
今の自分はダメ!
と感じている方がいたら、あなたは本当はどんなあなたなのか、ゆっくりと考えてみませんか?
自分をよく知ることは、自分を大切にすることです。
子育てや仕事に追われて忙しい毎日だけれど、1日5分でいいから自分見つめ、自分と対話する時間を作ってみてください^_^